大鳥の羽易の山
今日は朝から冷え込み、遠くに見える葛城山にうっすらと雪が積もっていた。そのあまりの奇麗さは、私の気持ちを一掃してくれるような気がした。
歩きながら、聖徳太子誕生の寺「橘寺」の門前にある石碑の所で足が止まる。 遠くに三輪山が見えるのも、私が気になる所かも知れない。
石碑には、「大鳥の羽易(はがひ)の山」のことが書かれている。
大鳥の 羽易の山に 我が恋ふる 妹はいますと 人の言へば
柿本人麻呂
当時、亡き人は、「 大鳥の羽易の山 」 に居ると信じられていたのでしょうか?
柿本人麻呂は妻を亡くした後、
「子どもを抱え昼は昼で心さびしく暮らし、夜は夜でため息をついて明かし嘆くのだが、何としてよいか分らず、恋しく思っても逢う手だても無いので、羽易の山に恋しい妹はおられると人の言うままに、
岩を踏み分けて難渋してやって来たが、よいこともない。」
と、歌っている。
今は亡き恋しい妻を想って、柿本人麻呂はこの地から、「 大鳥の羽易(はがひ)の山 」を眺めたというのだ。
三輪山を頭部に、龍王山・巻向山を両翼のようにして、大鳥が天翔るように見えるだろうか?
両翼を広げている姿に「羽がひの山」は、亡き人の安住の地であると考えられていたそうである。
また明日香の枕詞は「飛ぶ鳥の」で、明日香の語源説の一つを思い出す。
三輪山に有難く手を合わす私は、万葉集の時代に特別な感情で眺めた柿本人麻呂に人情を感じずにはいられない。
うっすらと雪が残り奇麗に見える三輪山に、爽やかな気分を残しながらその場を立ち去った。