想いは伝えないとわからない

スタイルアサヒの雑誌を読んでいたら、心に残るエピソードがあった。
それは診療所の医者である小笠原先生が書かれた文章だった。

先生は、四万十川を見下ろす診療所に勤めている。
訪問診療にも出向くのだが、子育てや介護の場面で、「夫をはじめ家族からのねぎらいの言葉が無いのが辛い。」という話を聞くようである。
介護するのが当然のようになって、家族からのねぎらいの言葉が無くなるのだろうか?
それとも、夫婦で声をかける事に照れくささがあるのだろうか?
ねぎらいの言葉があれば、介護する人の心をどれほど軽くすることだろうにと思った。

小笠原先生は、ねぎらいの言葉を言うのが不得意な人には
「その照れを捨てたら楽になりますよ。」
「言わないと伝わらないことがいっぱいある。相手を想う気持ちは当り前と思わないで口にしたらいい。」と続けている。

嫁姑や夫婦・親子も、奇麗な関係ばかりじゃない。
色々ごちゃごちゃ有りながらも、「有難う。世話になるねぇ。すまんねぇ」とお互いにねぎらいの言葉を口にしたいと結んであった。




私が嫁いだ時、大姑さんが離れで同居していた。
90歳で亡くなったのだが、だんだん足が弱ってきて、ご飯を運ぶ日々となった。
ふだんは口数の少ない人だったが、手を合わせて「有難う。有難う。」と私に言ってくれた。
そう言って貰えるだけで気持ちが楽になった。
だから夫婦や親子の親しい間こそ、感謝やねぎらいの言葉が必要だと思う。

さて、私はどうだろう?
世話になるにはまだ早く勝手に元気だと思っているが、何時かは訪れる道である。
「想いは伝えないとわからない。」
その言葉を心に留めて、私も歳を重ねていきたい。

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