上海にて

その時私は、上海空港に降り立った。
案内人は、北京から留学生として日本に来ていたOさんである。

Oさんは、A子ちゃんの関わりで知り合った30代の男性。
関西の大学に国費留学している、物静かな中国人だ。
A子ちゃんは、お母さんに連れられて中国から日本に来た小学生(女児)
中国では先生に可愛がられ、成績優秀で何度も表彰されていた。

上海に来た一番の目的は、A子ちゃんが通っていた学校へ行く事だった。
中国を実際に見てこそ、分かる事がある。
まだ、今ほど中国が身近でない20年ほど前の事である。

学校に着くと、日本語専門学校の生徒が、流暢な日本語で歓迎してくれた。「日本人が来るなら、ぜひ話がしたい」と駆けつけたのだ。
中国の若者の、日本語習得への並々ならぬ情熱を感じた。

確か、8月29日だったと思う。
9月が入学式なので、教室も新学年用に準備されていた。
黒板には、日本と同じように「入学おめでとう」のような文字が書かれていた。



でも教室を見渡すと、A子ちゃんから聞いていた話とは随分違い奇麗だった。トイレにはドアがなく、古いはずなのにそれも奇麗・・・

日本からの来客に備え、どうやら校舎を建てかえたようだった。
それには驚いたが、児童たちにとっては喜ばしい事だったかも知れない。
でもビデオを見たA子ちゃんは、「私の行ってた学校じゃない。」と言うだろうなぁ。

中国は、結婚した女性も男性と同じように働くのが一般的である。
教育長や校長も女性だった。当時の日本ではまだ女の校長先生が珍しかった時代である。女性の社会進出は、日本よりも進んでいると思った。

懇親会では、中国でも流行っている歌、坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」を披露した。「ふるさと」は日本語の歌詞を知っていたので、リコーダーに合わせてみんなで歌った。

Oさんは中国で超エリートの方だったが、謙虚で勉強熱心な青年だった。
これからの中国の課題を、冷静に受け止めていた。
日本に留学して、「描いていた日本のイメージと違っていた。」と、おっしゃっていた。日本人の親切や礼儀正しさ・お店のサービスは素晴らしいものだとも。


   
おみやげに頂いた
Oさんの奥様の手作り人形
向こう側にも顔がある



中国の貴重な経験を、年をとるごとに有難かったと思い出す。
30代終わりの懐かしき思い出の1コマである。

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