マザーテレサの言葉

子どもの本で、心に残る素晴らしい文章がある。
それが、国語の本に載っていた「マザーテレサ」だ。
数年前に読んだのでうろ覚えだが、思い出しながら書いてみよう。

マザーテレサは、幼い頃から民族や宗教の違いで傷つけあう姿を見てきた。そして次第に、信仰に心の救いを求めていった。
「主よ あなたの平和をもたらす道具として 私をお使いください。」

修道女となったマザーテレサがインドの最も貧しい街で見たのは、道端で倒れている人だった。
近づくとわずかに女性の指が動いた。
「まだ生きている。」

周囲の人々は、路上で人が死に行くというのに、まるで無関心である。
マザーテレサが病院へ運んでも、「こんな人間は何百人もいる。」と、医師は診ようともしない。

そこで、マザーテレサは、「死を待つ人々の家」を作るのである。
人間として、尊厳ある最後を迎える場所を求めて。
路上で倒れている人を引き取り、介抱する。
助かる見込みがなくても薬を与え、出来る限りの治療を施していった。

マザーテレサはその後「この世で一番の大きな苦しみは、一人ぼっちで誰からも必要とされず、愛されてない人々の苦しみである。」と語っている。
「最大の病は、自分はいてもいなくてもいい。誰もかまってくれない。
みんなから見捨てられていると感じる事である。」とも・・・

これはインドだけの話だろうかと、読みながら考えた。
日本でも同じような事が言えよう。

シニアナビのブログで、「一人暮らしのお年寄りが家を出て子どもと同居したのは良かったが、その後近所に友達もいず寂しい。」と書かれているのを目にする。
たとえ我が子と一緒に生活していても、家族から必要とされていないと感じた時には、孤独を感じるものである。

ひとりの寂しさは、楽しみや喜びを見つければ解決ができる。
むしろ、集団の中のひとりこそが、孤独ではないかと。



「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」
マザーテレサの言葉は、折りにふれ頭の中をよぎる。

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