がばいばあちゃん

島田洋七の「がばいばあちゃん」の話を聞くと、ある人を思い浮かべる。

彼女は82才。
薬剤師になる夢を持っていたが、当時は、「女は学問より結婚して家庭に」の時代。 女学校を出て、すぐに親が決めた結婚をした。
親の言う事が絶対で父親が厳しかった時代だから、それは特に珍しい事ではなかったのだろう。

彼女はある日、遊びに来た孫娘の婿殿の靴下に穴が空いているのを見つけた。
本人は気づいているのかいないのか・・・
出かけたついでに、新しい靴下を10足ほど買って来た。
それは見るからに暖かそうで上等な靴下。

後日包装紙を破き、婿殿に
「靴下いっぱいもらってんけど、サイズが合わへんから良かったら履いてくれる?」
「はい、喜んで」
本当は寒いだろうと気遣ったのに、買ったそぶりは決して見せない。

別の日、お商売やさんが集金に来た。 金額を聞いて、
「そんな商売してたらあかんわ。○○円とっとき〜」
「それは、あかん。」
ここらの職人さんよりも半額安い請求書を見て、少し余分の金額を渡そうとした。 この職人さんは親切で、柱の歪みで開かない襖や網戸を見かねて無料で修理してくださった。放っておけないと言う。
そんな良心的な仕事ぶりと、値段に感謝したのだろう。
それでも受け取らないので、家で作った果物と茶菓子を渡すと、あちら様も感謝して帰って行った。

戦争の物の無い時代を、ご近所で助け合って生きてきた世代。
味噌や醤油・テレビ・電話・風呂だって、貸し合いっこした。
 (私の子どもの頃はそうだった)
がばいばあちゃんの生き方で、困難な時代を皆で乗り越えて来た。
私が知っている超シニアの方は、優しい方が多いように思う。

すいかを丸ごと縁で割って食べた夏・・・
日本の文化は、家屋の縁側にあったのではないだろうか?
包丁で大きなすいかを割る時、皆が一点をかたずをのんで見つめた。
家族・親戚・近所が集まり、割ったすいかをみんなで分けた。
小さい子から配りご近所へと、他人を思いやる生活が、がばいばあちゃんを生んだのかも知れない。


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